甲斐犬の猪型と鹿型

これは猪型でしょうか鹿型でしょうか。発見当時の有名な甲斐犬の一頭です。答えは……最後の方で!

猪型甲斐犬の亡霊?

先日ご連絡いただいた方との会話で「猪型」「鹿型」の話が出たので、そういえば……と思って書いてみることにします。

日本犬には猪型と鹿型があって(もっというと熊型とかウサギ型もある…。もともとは何の猟に使っていたかの分類なのだけど、近年は犬の外見のことを差してることのが多いように思う)、甲斐犬でも鹿型甲斐犬、猪型甲斐犬という言葉があります。
※ちなみに甲斐犬には「柴犬型」と言われるのもあるらしい…。これは西山村にいた柴犬との混血のことなんだろうか、謎。知っている人がいたら教えてください

まず、大前提で猪型甲斐犬っていうのは絶滅しているらしい。

じゃあ、今いる猪型甲斐犬はなんだろうという話。

そもそも猪型甲斐犬がいたのは…

猪型甲斐犬というのはもともと、山梨県の宮本村と西保村というところにいました。甲斐犬発見者で有名な小林承吉先生という獣医さんが、「猟犬が怪我をした」というので宮本村まで往診にいったらイノシシ型甲斐犬だった…ということです。

それが珍しかったので犬専門雑誌に寄稿したら、県外から珍しい物好きな人や愛犬家や狩猟かが押し寄せて根こそぎもっていかれたと。これは結構有名な話です。

それに凝りて、甲斐犬の姿を秘すようになった、というのが、ほかの日本犬に比べて甲斐犬のスタンダードがはっきり伝わってない理由だそうです。ここまでは確か。

「甲斐犬の」猪型の特徴

ポイントはこれですよね、現在で言われている「猪型甲斐犬」と本来の「猪型甲斐犬」の違い。発見当時の猪型甲斐犬は、何よりも「拝み尾」が特徴でした。拝み尾も、どうやら今と当時で意味が違います。

猪型甲斐犬の拝み尾はこれ↓

「尾の筋肉が弱いため、尾の毛が開いて力なく垂れ下がった形」が当時の拝み尾で、猪型甲斐犬のもっとも大きな特徴だったそうです。実際、狩猟でも猪型甲斐犬は猪に使われ、鹿型甲斐犬は鹿(カモシカメインだったらしい?)に使われてはいましたが、現代でいうような「ずんぐりがっしりが猪」「シュッとしてるのが鹿型」…ともちょっと違うように思います。

ただ、猪型甲斐犬がいた地域は標高が低いのでイノシシがいて、鹿型甲斐犬がいた地域は山岳地帯でイノシシがいなかったということなので、自然と体型は地形や追う獲物に合わせて変わっていくし、交配も意識して変えたはず。

カモシカを追えるのは身軽で持久力のある犬、山岳地帯に合わせた体型で100:100。…が向いているのなら、そういう犬の子をとって残していくだろうというのは理にかなっています。猪型もしかり。

猪型甲斐犬は第二次世界大戦で絶滅

最初に発見されたのは猪型甲斐犬でしたが、まず前述のように山梨県から流出し、その後細々といた犬も鹿型犬と比べて劣る部分が多かったため、戦時中に「不要な犬は飼育禁止」という命令が出て供出されたとのことです。
※不要な犬=展覧会に入賞してない犬。猪型犬は構成がよくなく、入賞犬がいなかったらしい…。

戦後、当時の愛護会会員たちによって鹿型甲斐犬が保存されており、昭和22年に展覧会を再開。このなかから牡10頭、牝6頭を天然記念物に指定した……ということなので、この犬達が甲斐犬愛護会の戦後の祖なら鹿犬型しかいないはず、となります。

じゃあ今の猪型甲斐犬って?

だんだん調べるほどに迷路なんですけども、まず、日本犬の世界や狩猟の世界で言われる「鹿型犬」「猪型犬」と甲斐犬の世界で言われる「鹿型犬」「猪型犬」がまずちょっと違うと思います。

本来の甲斐犬の猪型犬は拝み尾で、構成もよくなかったらしい。体高も鹿型甲斐犬より大きい犬が多かったそうです。

そして現代で言われる猪型甲斐犬は、狩猟や日本犬の世界全般で言われる「猪型」のことなのではないかと。「がっしりしていてやや胴長」。「猪猟に向いている」。などなど

がっしりして胴長なら猪型甲斐犬、というなら、現代にもめっちゃいますね。でも、それって発見当時で区分された甲斐犬の猪型ではないのです。あえていうなら…という感じになってしまうかも。でも、うちが目指しているのは明確に鹿型甲斐犬です。

というわけで、最初のこちらの写真。芦安村で発見された、鹿型犬の代表「百」号です。

人によっては「猪型じゃないの?」って思うのではないかなと思います。でもこうなんですよね、昔の鹿型甲斐犬。毛がすごいのでがっしり見えるけれど、濡れたら細い犬だと思います。あと100:100。

「中間型」という言葉が…

愛護会発行の「甲斐犬」という本で「現代の甲斐犬は鹿型と猪型の中間でどちらかといえば、という言い方になる」と書かれています。これは「狩猟犬としての鹿型と猪型」の話だと思うんですが、昭和42年発行の本で既にそうなので、狩猟犬のいわゆる「鹿型甲斐犬」を見つけるのも、現代ではなかなかむつかしいかもしれません。

ただ、そもそも「鹿型」も昔の芦安村の鹿型甲斐犬と、今言われるのと違うかも。百号の写真を見るとそう思います。

ちなみにこちらは昭和初期の犬ですが、鹿型甲斐犬と猪型甲斐犬の交配でできた犬だそうです。

吻が太く、箱口っぽい形ですね。「鹿型犬は顔も鹿型なんだよ」と大師匠に言われますが、これを見るとなるほど…と思います。

前も書いたことがあるのですが、日本犬の昔の本って、結構狭い世界で同じ人たちが書いているせいもあって忖度や遠慮があるんですよ。あえてウソが書いてあったりするし、同じ話も違う出版社の本になると違うことになったりします。書いている人の知識によっても違う話になります。

なので、いろいろな本を見てパズルピースをはめて考察するしかないのですが…。

ただ、猪型甲斐犬については、前から自分の中のそれと人から言われるものに違和感があって、今回整頓してみました。

猟犬の猪型犬タイプである甲斐犬のことを言っているなら「います」。
昔いた猪型甲斐犬のことだったら「絶滅したはずだけど…?」

ということでした~。

参考:甲斐犬の歴史と解説/小林君男著
   甲斐犬/甲斐犬愛護会発行
   日本犬百科/渡辺肇著
   日本犬中小型読本/愛犬の友編集部