写真
とある大先輩が、昭和中期~平成初期の甲斐犬の写真を見せてくれました。
昔は貴重な写真を見せてもらうとそれをさらに接写していたのですが、最近はただただ何度も見て、お話を伺って、頭にイメージを入れるようにしています。写真というのはそもそも実物と全然違うように見えることもあるので、本質が分からずに見ていると写真に逆に騙されて本質がおいてきぼりになることがあるんだよなあ……とやっと気付いたのはこの2年ほどのこと。
1頭の同じ犬の写真を何枚も違う角度や違うシーンで見られるのなら別で、(あと広角レンズじゃないとか)そういう機会があるのなら絶対接写させてもらいますけども。
「甲斐犬の顔の形は」
「足は」
「耳は」
「なんで笹耳っていうようになったかというと……」
「甲斐犬の毛はこうだ」
「昔飼っていた犬は……」(驚くようなエピソードの連発。。。)
そんな犬にどうやったらたどり着けるのかと思いますが、ドーベルマンだって5年(でしたっけ)で、たった一人の人間から作られて固められた犬種。もともとその遺伝子を持っている犬たちがいるのなら……できないことはあるまい?
ただ気を付けないといけないのは誰か個人の「いいと思う犬」に寄せてはいけないということ。本来の甲斐犬がどういう犬だったのかをちゃんと知って、そこに向けていくこと。
展覧会でいいと言われる犬、昔の犬、良い家庭犬、良い猟犬、全部像が違うのが甲斐犬。その一方で「いい甲斐犬はすべてこなす」とも聞きます。狐に化かされてるみたいだなあと思いながら、それでも本物を探したくなる。
すべて聞いて、知識をつけて、なぜそれがいいのか裏付けをとって、取捨選択しながら本物を探求していくしかない犬種。
そういうところも含めて魅力なんですよねえ。