犬も一夫一婦制?

特に保存における作出においては、人間の意図で「あの血筋とこの血筋を」とか、「この犬のこの部分にこっちの犬のこの部分が入るといいが」など考えて番を作るわけですが、平岩米吉氏の本によると、「犬は人間の干渉がなければ一夫一婦の傾向があることは確実」だそうです。

牝は最初に選んだ牡を次の交配時期にも選ぶ率が多く、平岩氏の愛犬(シェパードの牝)は仲の良かった牡がフィラリアで死んでしまったあと、食欲を失い、衰弱して2ヵ月あまりで後を追うように死んでしまったとか、日本犬研究科小松真一氏の知人が飼っていた牝は、小松氏の愛犬の牡以外を決して受け入れず、生涯その牡の子だけを産み、なおかつお産の時は必ず小松氏のところへやってきて牡のそばでお産をしたといいます。

犬、特に日本犬と近い親戚にあたる狼も一夫一婦制だということはよく知られていますが、そうだとすると仔犬の出来を見て、あるいは今後の作出計画のために色々な牡と組み合わせようというのは種の保存を建前にした人間の手前勝手なことだろうかと考えたりもします。

あるところにとてもいい牡が何頭かいるのですが、「どれも牝にかからなくて困る」という話を聞きました。こんな本を読んだ後だと、もしかして「目にかなう牝がこなきゃやらないよ」という古い犬ならではの矜持かもしれないとも思うのです。特に甲斐犬という種にはそういうところがあるように思うのです。

「犬の牡は牝の匂いで反応するのだから、そんな理由で抑制するものか」と笑われることを承知での戯言でした。

ちなみに夜雲は、千代鶴との交配の時にドッグランの隙間からじっと見ていた露虎に気づいて乗っていたのにストンと降りました。
その後、千代に乗ろうとせず、露虎からも目をそらして「知らないよ、俺浮気してないよ」と言わんばかり・・・
仕方なく露虎から見えない場所に移動すると「では」と乗ったのですが、犬もやはり特定の牝には思うところがあるようです。

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