キョンの命を頂いた話

※今日はちょっと苦手な人がいるかもしれない話。狩猟に抵抗のある人は飛ばしてください。

「罠にかかったみたいだけどよ、来るかい」

イノシシファミリーとのニアミス体験をした、翌日。
よく朝の散歩で会う近所の猟友会の人が、「罠にかかってるみたいだけどくるかい」と電話をくれました。実は、少し前から罠猟を検討していて、もしかかったら解体を見せて欲しいとお願いしていたのです。

場所は、うちから700~800mの集落の中にある田んぼと山の境界。走って行くと、猟友会の人とその仲間のおじさんが待っていてくれました。

「小さいイノシシかと思ったらよ、キョンだっぺよ」

猟友会の人は銃も持ってきていましたが、かかっていたのがキョンだと知ると長い棒に包丁みたいな刃先をつけた槍を持ち、罠の場所へ向かいます。

野生動物の命乞い

ついていった先で待っていたのが、写真のキョンです。まだツノも小さく、若い個体でした。暴れるでもなく、じっとこちらを見て座り込んでいます。キョンは人に懐きやすいと聞きます。若い個体ならなおさら警戒心がなく、これから自分が殺されるとは思ってないのかもしれません。

猟友会の人が槍を持って近付くと、何か気配を察したのか突然キョンが逃げようと暴れ始めました。猟友会の人が、罠のワイヤーを踏みつけ、動きを封じて槍を振り上げます。

「ピィーー!!」

キョンはホエジカ属。その名の通り、よく「吠え」ます。普段は猫が首を絞められたような不気味な声で「ギャーッ」と鳴くのですが、この時は鹿のような声で鳴きました。

森に向かって、仲間を呼んでいるのでしょう。あきらかに「助けて、助けて!!」と叫んでいました。

狩猟の覚悟

これまで何度も、罠くらいは免許を…と思ってやめて、3年と少しが経ちました。生き物を殺す覚悟も意味も自分の中に見出せなかったからです。でも、房総半島に来て3年以上が経ち、昨日のようにイノシシと間近で相対し、人と獣の世界の境界を引きなおす必要を感じ始めました。

何より大きいのはやはり犬達の存在です。本来、狩猟という仕事を持って人と山野を駆け巡っていた甲斐犬の保存をしているのなら、その仕事を見てこそ彼らの本性が分かるのでは……と、ずっと思ってはいました。

「狩猟やるなら、こういうシーンに慣れなくちゃいけないんですね」

目の前で泣き叫びながら命乞いするキョンを見ながら、ぽつりとそんな言葉が零れていました。隣にいたおじさんは、なんでもないことのように「当たり前だ」と言います。

自然と手を合わせていました。今後、もしも狩猟を始めたら、何十回、何百回あとでも、きっと手を合わせると思います。

「手を合わせるくらいなら狩猟なんてやるなよ」と、猟友会の人に言われました。

違うんですよ。後悔でも懺悔でもない。敬意と感謝を込めた合掌なんです。逆に、だから自分はきっと、狩猟ができるだろう、と思いました。

「ゴミにしかなんねえ」、ことはねえ

さて、そのキョンですが、通常は「食う所ないし」と捨ててしまうそうです。死んでしまった後となれば、キョンとしてもどうされようと変わりないのかもしれませんが、ここは人のエゴだとしても、お肉をしっかりいただきたい。
※キョンは本来、高級食材として中国や台湾では重宝されています。また、房総半島にもキョンを提供するお店がいくつかあります。

「モモくらいは食べられるんじゃ…」「解体を見せてください」とあれこれお願いして、モモ肉と背ロースを頂いてきました。

それが上の写真です。

解体の時には、さっきまではっきりと景色を映して黒く光っていた瞳が、白っぽくにごって何も映さなくなっていました。細い足にフックをつけて吊り下げられたキョンを見て、「もう怖くないし痛くないんだな」と、逆に安心するのでした。

野生動物を食べるのはかわいそう?

そんなわけで頂いてきたお肉は、いま、我が家の冷凍庫に眠っています。背ロースは冷蔵庫で熟成しているので、明日か明後日にでも夕飯になる予定。凍らせたモモは、ジャーキーにして犬達と食べようと思っています。

かわいそう、という人がいるでしょうか?

そういう人たちによく言う言葉があります。

「牛や豚や鶏のように、食べられるためだけに育てられている生き物を食べるほうがよほどかわいそうじゃないの?野生動物を手に入れるには、人もリスクを負って戦わなくちゃいけない。よほど平等で、尊厳があると思うけれど」

ストレスから異常行動を起こすブタ、病気になっていないのに防止対策として抗生物質漬けにされる鶏や牛。無駄なカロリーを使わないように狭い場所に閉じ込められて過ごす家畜のことを「かわいそう」とは言わないのでしょうか。

ゲームで狩猟をする人とは、自分も相いれないと思っています。

でも、ゲーム以上にチャンスを与えられない家畜のことにも思いを馳せて、自分たちの食については考えるべきです。かわいそうでも、かわいくても、人間が雑食である以上彼らの命をいただくしかない。

日本人の多くが忘れているかもしれませんが、「いただきます」で手を合わせるのは、やはりキョンに手を合わせるのと同じ、敬意と感謝のためです。